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―ハンザ・キヤノン―
正面から見たハンザキヤノンとレンズキャップ////ボディ上面
レンズ基部取り外したレンズ
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ファインダ底蓋
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トップページにも使用しているハンザ・キヤノン。国産35mmカメラの中では、ニコンI型と並んで希少性の高いことで知られている。1935年末に発売されて、新型モデルの登場するまでの約3年間製造されていたようだ。その製造台数は、初期のキヤノンカメラに詳しい『キヤノンVol.1精機光学キヤノンのすべて』(上山早登著/1990年朝日ソノラマ発売)によると1,000台程と推定されている。しかし、その後大戦を挟んでいるため、現存するカメラはそれよりもはるかに少ないようだ。後述の「キヤノン・オリジナル」も含めて1989年時点で103台(ここに掲載したものは含まれていない)の存在が確認されている。未確認のものを含めても、この倍程度しか現存しないのではというのが、大方の見方だ。戦後間もない時期に738台が製造され、そのほとんどが欧米向けに輸出されたニコンI型とどちらが多く残っているか興味深いところだ。(※その後の上山氏の調査で、2002年1月現在、計131台が確認されている。従って合計132台)

国産初のライカ型カメラで、ボディはキヤノン製だが、レンズと距離計はニコン製である。現在のカメラ王国日本を代表する2大ライバル会社が、戦前はこのような関係にあったのだから興味深い。機種名の由来は、当初販売を近江写真用品(株)に委ねたため、そのブランド名の「ハンザ」を冠し、現在に至るまで一般的にはハンザキヤノンと呼ばれている。当時、社内(精機光学研究所)では単に「キヤノン」と呼び、また、雑誌広告などでは「標準型」として扱われている。1938年以降は「HANSA」の刻印がなく、その他は全く変わりのない「キヤノン・オリジナル」と呼ばれるタイプが少数製造されている。ここに掲載したボディには、この「HANSA」の刻印が軍艦部にはっきりと読み取れる(写真下段左)。また、ライカのファインダに関するパテントに抵触しないように、ポップアップ式のファインダを採用したことから、「ビックリ箱」のニックネームもある。

さて、このカメラは私のものではない。現在、父の所有であるが、元々は戦後しばらくして亡くなった父の兄の遺品であるという。恐らくは、新品を購入したものと思われるが、あるいは戦後中古品を購入した可能性もないとは言えない。父は譲り受けた後、闇で入手したレントゲンフィルムや黎明期のカラーフィルム(輸入品・国産試作品)などを用いてしばらく使用していたそうだ。しかし、その後しばらく使われないまま保管されていた。10数年前まではシャッターも切れたのだが、その後作動しなくなり、1995年にオーバーホールし、シャッター幕と距離計のハーフミラーだけは交換してある。その代わり、現在でも完璧な作動をし、外観もかなり美しいほうだと思われる。また、オリジナルのレンズキャップ(写真上段左)とレンズフード、皮製ケースなども残されている。

ニッコール5cmF3.5レンズは、Nr.501070のシリアルナンバーが刻印されているが、これも日本光学製と言われるレンズマウントには別のNr.1131というナンバーも打たれている(写真中段左)。さらに、ボディ底蓋を開けると内側に2701というナンバーも見られることから、これがボディの製造番号のようだ(写真下段右)。レンズは専用バヨネットマウント式で取り外し可能だが、残念ながら交換レンズまでは発売されないで終わった(写真中段右)。
レンズの製造番号の上2桁をレンズの型式番号とすると、距離計の一部のレンズマウント部分の番号と61の差しかないことになる。レンズ本体と距離計がほぼ同数日本光学から納入されたと仮定し、捨て番なども考慮すると、製造台数の1,000にかなり近い数値で、大きな矛盾はない。しかし、本体に刻印された2701はどう考えればよいのだろうか?半端な捨て番を設定したのか、それとも余程製造歩留まりが悪かったのだろうか?どうも、かなりランダムな刻印のようである。

この装着されているF3.5のニッコールレンズには、いくつかのバリエーションが確認されているらしいが、新旧2タイプに大別出来るようだ。このページや朝日新聞社『アサヒカメラ1992 12月増刊 郷愁のアンティークカメラIドイツ+日本編』に掲載されている写真などは、レンズ前面はクローム地でそこに「Nikkor1:3.5 f=5cm Nippon-Kogaku Nr.(※50から始まるシリアルナンバー) 3.5 4.5 6.3 9 12.5 18(※絞り値)」と黒色で時計回りに刻印されている。
ところが、講談社MOOK『Nikon倶楽部』(2001年発行)や朝日ソノラマ『カメラレビュー クラシックカメラ専科NO.24』(1993年発行)やキヤノン(株)のウェブサイトCANON CAMERA MUSEUMに掲載されている写真では、レンズ前面は黒色でそこに「Nikkor 1:3.5 F=50mm 3.5 4.5 6.3 9 12.5 18(※絞り値)」とだけ白色で反時計回りに刻印され、シリアルナンバーと「Nippon-Kogaku」の文字は見当たらない。発売間もない時期の1936年5月1日号『カメラアート』誌のハンザキヤノンの広告にも、黒地に白文字刻印タイプのレンズが装着されているように、このタイプのほうが古い。
果たして、このふたつタイプが何時の時点で切り替わったのかは明確ではないが、1937年7月に新型ニッコールレンズが発表されている。しかし、1937年11月号の『アサヒカメラ』に掲載された製品広告には、少なくともまだこの旧タイプの写真が使われていることから、完全に切り替わるまでにはやや時間を要したようだ。

ここに掲載したハンザ・キヤノンは、新しいタイプのレンズが装着されているが、「HANSA」のネームが刻印されていることから考えて、1937年末から38年のそれ程遅くない時期に製造された可能性が高い。従って、いわゆる「ハンザ・キヤノン」(キヤノン・オリジナルでない)としては、最も後期に属する製品ではないかと推測される。
前出の『キヤノンVol.1精機光学キヤノンのすべて』によると、各パーツの形状などから、オリジナル型を含めハンザキヤノンは10種類に分類出来ると言う。この分類に従うと、ここに掲載したボディは、やはり「HANSA」刻印入りでは最後期に属する第7番目の分類にほぼ合致する。この「HANSA」刻印があり、かつボディ上面の巻き戻しレバー脇に「R⇔A」の刻印もあるのはかなり数の少ないものらしい(写真上段右)。さらに、ここに掲載したボディのアクセサリシューは、第8番目の分類のキヤノンオリジナル以降使用されている「段付きストレート」というタイプである(写真上段右、下段左)。従って、分類段階7と8の間に位置する、これまでに数台しか確認されてないパーツの組み合わせのタイプのようだ。

また、距離計の無限遠ストッパ部品の形状も、製造時期によって僅かながら違いがあるように思われる。このページに掲載したボディも含め、後期の製品は、この先端部分がより鋭角となり、焦点調節ギアに被さるような形状に変化しているように見えるが、必ずしも一定の規則性を持った変更ではないのかもしれない。今後の調査に期待したいところだ。

実際に撮影してみての印象は、シャッター音も軽快で、距離計の二重像もピント合わせに苦労するほどひどいものではない。但し、逆ガリレオ式ファインダでの構図決定はかなりラフなレベルでしか出来ない。また、撮影フレームがフィルムに対してやや傾いているのと、フィルム給送方向に傷が付いてしまうのはこの個体特有のものだと思うが、少々残念に思われる。絞りもシャッター速度も倍数系列ではないので、露出決定にはやや戸惑う。絞りはともかく、シャッター精度は特に気になるところだが、絞り値固定で、シャッター速度によって段階露光した結果、規則的にネガ濃度が変化しているので、大きな狂いはないようだ。

さて、この65年以前に設計されたニッコール5cmF3.5(新タイプ)の実際の描写能力だが、絞り開放からかなりシャープで驚かされる。今でも、充分に実用になるレベルだ。見かけの被写界深度が深く、絞ってもあまり変化が見られないのと、やや二線ボケというかボケ味が煩雑な印象を受ける。カラーネガフィルムによる撮影で、スキャナーを通しての補正データのため、実際の描写をどこまで再現出来るか分らないが、参考までにその作例をアップしてある。>ハンザ・キヤノン実写作例画像

キヤノン35mmF1.8/25mmF3.5―
手書きで「文部省」と印されたレンジファインダ用キヤノンレンズが2本ある。初期の南極観測隊が使用したものと伝えられている。
第1次南極観測隊を乗せた「宗谷」が日本を出航したのは、昭和31年11月。32年1月に南極に到着し、その後1年間、次期観測隊の到着まで越冬観測を行ったと記録が残されている。果たして、どの時期の観測隊によって使用されたものなのだろうか?
この35mmF1.8は、常用レンズとしてボディに装着されていたのか、かなり酷使した痕が認められる。特に、鏡筒先端には無数の凹傷が付いている(写真右)。南極大陸の岩か雪上車にでもぶつけて出来たものなのだろうか?距離リングの溝にもかなりの汚れが付着しているが、これも南極の土かもしれない。当初は絞りリングも変形していてスムースに動かなかったが、1995年にオーバーホールし、現在は実用上問題ないレベルに復している。

キヤノンから公表されている資料によれば、このレンズが一般に発売されたのは昭和32年5月。シリアルナンバーは「10312」で、上2桁を捨て番とすると、決して発売直前の製品や試作品ではないようだ。従って、南極越冬隊で使用されたのは、少なくとも2次隊以降と考えられる。

実写性能は、絞り開放ではかなり甘い画像に感じられる。これは、単に解像度の低さだけに帰因するものではなく、実質の被写界深度が極端に浅いことも大きく影響しているようだ。この傾向は、F2.8に絞っても消えず、F4まで絞るとやっと実用的な解像度に達するように思われる。F5.6以上に絞り込むとかなりシャープな像を結ぶようになる。

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25mmF3.5は、あまり使用する機会がなかったのか、かなり美しい状態を保っている。しかし、残念ながら専用ビューファインダは残されていない。一眼レフ用広角レンズとは異なり、かなり薄くコンパクトに造られている。キヤノンポピュレールに装着しても、ボディから突出している部分はごくわずかで、携行には便利そうな反面、フォーカスリングや絞りリングは決して操作しやすいものではない(写真右端)。

キヤノン公表の資料では、発売は昭和31年12月。従って、一般発売直前に観測隊が入手し第1次隊で使用された可能性もあるが、シリアルナンバー「10323」を見ると、35mm1.8同様に第2次隊以降での使用の可能性が強そうだ。

実写性能は、画面中央部は絞り開放からシャープで、絞り値による画質の変化はあまり感じられない。一方、周辺部は開放絞り付近ではかなり甘く、像の流れも認められる。F8前後まで絞ると、画面全体が均一な画質となる。F3.5の絞り開放でも、実際には絞り羽根はある程度絞り込まれた状態(写真右2枚目)にある。絞り羽根が完全に開放状態になれば、レンズ自体はF2.8程度の口径があるかもしれない。レンズの収差補正にかなり苦労した結果の設計なのかもしれない。

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