湊 和雄 プロフィール

1959年 東京都大田区田園調布に生まれる。(ちょうどNikon Fの発売された年)

幼稚園の頃、母と昆虫図鑑を見ていて、コノハムシなどの精巧な擬態昆虫に興味を持ったが、どれも生息地が遠い外国であることに強い落胆を感じた。これが昆虫少年にならなかった最大の理由だと思っている。一方で、唯一コノハチョウは沖縄に生息していることも強く印象に残った。

1969年 杉並区久我山に転居。この頃、ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』を読み、従軍カメラマンに憧れる。

中学3年のときに、栗林慧さんの作品「沖縄の昆虫」を『カメラ毎日』誌上で見て、強い衝撃を受ける。以降、昆虫写真家を将来の職業として夢見るようになる。

1978年 琉球大学農学部昆虫学教室に入学し、沖縄に渡る。(琉球大学を志望したのは、昆虫少年ではなかったので、昆虫の勉強をするために昆虫学講座があり、なおかつ撮影のための最高のフィールドに恵まれていることを建て前の理由にしているが、実は偏差値の相性がよかったことが最大の理由・・・)

当時の沖縄は本土復帰5年目で、車はまだ右側通行だった。78年の7月30日に左側通行に変更されたが、その直前に運転免許を取得する。

1981年 ヤンバルクイナが発見される。
1983年 ヤンバルテナガコガネが発見される。これ以降、毎週末の山原(やんばる=沖縄本島北部)通いが始まる。(それまで実は大のヘビ嫌いで、ハブの巣窟のイメージのある山原は、どこか敬遠していた・・・)最も多い年で、年間120日程テント生活をしながら、山原のフィールドで撮影に費やした。

1985年 琉球大学大学院修士課程を修了(大学院に3年間在籍したのは、少しでも長く親のすねをかじりながら、写真を撮っていたかったからに他ならない)。

1986年 琉球大学資料館(風樹館)の非常勤職員になる。(なるべくフィールドでの撮影の時間を確保したいために非常勤を希望し続けたが、最大で5年までしか延長できず、その後仕方なく3年間は常勤職員となった。さらに助手就任の要請があり、ついに退職)

1994年 琉球大学を退職し、フリーランスとなる。

現在、山原をメインフィールドに琉球列島の野生生物・自然環境にレンズを向ける生活を続けている。

日本写真家協会(JPS)会員。日本自然科学写真協会(SSP)理事。沖縄県在住


1984年 平凡社主催第1回準アニマ賞を「コノハチョウ」で受賞。

1994年 沖縄タイムス社主催第15回沖縄タイムス出版文化賞を『虫がいっぱい!南の島』(大日本図書刊)で受賞。

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